富塚町内会は、信夫山の北側、福島市北部の鎌田地区に位置する町内会です。
国道13号線信夫山トンネル開通前は、長閑な田園風景がひろがる地域でした。
それが、トンネル開通後には、福島市中心部との直線距離が比較的短いことの利便性が注目され、急速に宅地開発が進んできました。
今では500世帯を超え約1300名の方々が居住する町内会となっております。
当町内会の特色は、この30年で急速に世帯数が多くなりながらも、150年の歴史を誇る「福島だるま」の伝統継承御本家が居住なされてご活躍なさっていることです。そのご活躍は福島市ホームページ (リンク先)でも紹介されました。
富塚町内会は「共助」の考え方のもと、住民相互の一層のつながりを図り、ここに住んでよかったと思える地域づくりを目指しています。
【富塚と言う名前の由来】
富塚仲綱(1511~1545年)は長門守綱長の子で、富塚近江守仲綱と言った。
伊達家の宿老であり伊達郡森山邑(国見町)に住んでいたが、後、丸子邑に移った。この館を「富塚館」または「近江館」と呼んだ。
仲綱は、天文の乱の末期に討ち死にし、その子亀松(2歳)は富塚下用人、佐久間と斎藤によって三春に逃れた。富塚宗綱と称したが、富塚家は断絶した。
後年、丸子邑の一部「富塚館」のあったあたりを「富塚」と呼ぶようになった。
・「福島の町と村」Ⅰ P21 参照