渡利山際町会 第7代 会長

太 田 常 雄

 渡利山際町会は、福島市電子町内会推進事業に賛同し、町会ウェブサイトを令和6年1月1日より開設いたしました。

 目的は町会内の情報伝達の迅速化を図るものです。

 

 早いもので、私が当町会に昭和47年に新居を構えて51年になります。町会役員デビューも早く、昭和55年4月体育副部長をスタートに5期(10年)、体育部長7期(14年)、町会副会長3期(6年)、そして現会長として平成21年4月から8期目の15年を経過し、現在に至り連続45年の役員歴になります。

 その間、福島市少年会育成会渡利ブロック連絡協議会会長兼事務局を30年余(令和元年に解散)、福島市体育指導委員会常任理事を3期、渡利公民館の運営審議会委員3期等々、会社勤務をしながらの活動はとてもハードでした。家庭内の子育て、家長の役目などは、家内にお任せになってしまい、家内には感謝しかありません。

 

 さて、当町会は昭和28年、当時の林谷主計市長の計らいのもと「山際部落会」として40戸そこそこの会員数で自治組織が発足し、その後土地改良工事等により地名が変わり、昭和46年に「渡利山際町会」と名称が変わりました。本年(令和5年)で創立71周年を迎えたことになります。

 平成14年9月29日には、町会創立50周年を祝し、渡利支所において町会発展に寄与した役員方々に感謝状を贈り、関係者をお招きして祝賀会を盛大に挙行しました。また、記念誌「50年の歩み」を発行し、全会員と関係者各位に配布し、町会の歴史の変遷に思い出を馳せることができました。

 

 私が町会長に就くなり、東日本大震災と同時に東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウンによる水素爆発など未曽有の桁違いの原発事故が発生し、世界中に「フクシマ原発事故」発信されました。市街地の中でも渡利地区は、放射線量が高く、県外に避難する家族もでるなど半端ない原発事故でした。中でも瑞龍寺は避難勧奨地点レベルの高線量(1.5~3.0μ㏜/H)の放射汚染に晒されました。平成23年12月~翌1月にかけて同寺を国が最初の除染を行いました。同年8月から渡利地区除染等対策委員会が設けられ、対策等会議は年間、他会議を含めて50回余に及びました。同時に地区内の戸別の除染が実施されました。

 

 町会活動は先人達の創設期の苦労した時期、創立50周年のお祝いを町会会員皆で祝賀した思い出、大震災原発事故による放射能汚染への不安、最近ではコロナウィルスによる感染拡大不安から町会活動の停滞がありましたが、令和5年からは4年振りに年間行事が復活し、平時の生活に戻り安堵しています。

 これからは災害等に対する備えを万全に期すと共に健康とより良い生活を目指した町会活動を進めたいと考えております。

 この専用ホームページにより、町会会員の皆様とのコミュニケーション活性化の一助になれば幸いです。